鳥生小学校の校章
鳥生小学校の校章は、継ぎ獅子発祥の地ともいわれる三島神社の宮司 越智静治 氏がデザインしたもので、昭和52年7月12日に制定されました。
「鳥生」の地名の由来にもなった白鳥(鷺)を中央に配置し、天上に向かって飛ぶ鳥の姿は、高い希望(目標)を目指し、力強く羽ばたいていってほしいという願いが込められています。
また、円を構成する六つに分かれたパーツの一つ一つは、「人」という漢字をデザインしたもので、1年生から6年生までの児童が手をつなぎ輪になって、仲よく過ごす様子がデザインされています。
鳥生(とりう)の地名の由来
三島神社は、この地方の豪族 小千直益躬(おちあたいますみ)が、靺鞨(まつかつ)の国から強い武人が8,000の兵を率いて攻めてきたのを、播磨の国(今の兵庫県)で討ちとり、木の下の浜(今の鳥生の浜)へ凱旋し、自ら榊の大きな樹に鏡をかけて大山祇の大神を祀ったので、「木の下三島宮」と呼ばれていました。この木の枝に、多数の白鳥(鷺)が巣を作り、ひなを育てたので「鳥生の宮」と称し、地名も「鳥生」としたと伝えられています。
この白鳥とは鷺のことで、「月の神使」「三島神社の神使」と言われています。